【#10】その玉、歴史が葱いた。

エアコンをガンガンに利かせたまま就寝し、朝起きた時なんとなく寒い。そして窓の外を見たら雨で、これ今日ちょっと寒いかなって思い少しだけ厚手のジャケットを羽織って外に出たら暑いわ雨だわ湿気だわ汗だわのクアッドアタックくらいました。つらいです。そんなときはタマネギ食べて血行よくすればたぶんなんとかなります。おいしいし。

さて今回は、知られざるタマネギの歴史についてご紹介致します。いつ頃海外から伝来したのか、日本人にどのように親しまれていったのか、そもそもタマネギがどうして生まれてきたのか等、できるだけわかりやすく紐解いていこうかと思います。知られざるタマネギの歴史について。

さて、まずは日本にどのようにしてタマネギが来たのでしょうか。

日本に伝来したのは古来中国(唐)の鑑真が船で渡日した際、栄養価もあり血行を促進し物持ちのよいタマネギを携帯しており、興味を持った光明皇后が一口食したところ大変気に入り、日本での栽培が始まったということは有名な話です。つまり日本人で初めてタマネギを食べたのは光明皇后だったというわけです。国に税を納める租庸調の制度がありますが、「タマネギで税を納めた場合には税率が軽くなった」という記述が書かれた文献が近年見つかったようで、理由は不明ですが単純に光明皇后がタマネギ好きだったのではという説が有力になってきているようです。

もともと中国でも漢方として使用されるほどメジャーな野菜でしたが、当時は乾燥させれば長持ちするという保存方法が確立されておらず、高温や日光に弱いが効力の高いタマネギは高級薬品として取引されておりました。当時の僧侶たちは高山で修行をする際に、食料の物持ちをよくさせるために乾燥させて登山をするという手法をとっていたのですが、この際にタマネギを乾燥させたところ、1年経っても腐らなかったことが発見され、「タマネギを乾燥させる」という文化が生まれたといわれています。

そしてここから戦国時代まで、タマネギは歴史から姿を消します。
どの文献からもタマネギの記述がなくなっているのです。理由は不明ですが、歴史研究家の間では天皇一族の誰かがタマネギ中毒になってしまい、タマネギを耕すことを全面禁止したのではという説があり、足利尊氏なのではないかというのが有力です。自身がタマネギ食べすぎてタマネギ中毒になってしまい、怒りに身を任せた足利尊氏はそれまで残されているタマネギの文献を可能な限り排除したという説がありますが、なぜ光明皇后の歴史が消せなかったのかは不明です。このあたりが常に論争になる部分で、いまだ答えは確立されておりません。タマネギ史においての「闇の空白」と名高い期間です。

そして世は戦国時代に突入します。
物持ちのよいタマネギはあらゆる戦場で活躍したと言われています。特に領地にて塩が名産であった上杉謙信は、タマネギをそのまま焼いて塩をつけて酒を飲んだと言われています。幼少期に今川に人質とされていた徳川家康は、タマネギを料理に出されている時だけは捕らえられていたことを忘れることができたそうです。そして本能寺の変、秀吉が明智光秀のもとへ超高速で戻る「中国大返し」。ありえないスピードが出せた理由は、この時に虫よけや栄養の為に大量のタマネギと一緒に山崎へ向かったようです。血行促進や保存のきくタマネギは大活躍し、天下分け目の関ヶ原、戦国最後の大阪の陣まで、武将にとってタマネギはなくてはならないものとなりました。

江戸時代となり、日本は長らく平和となる時を迎えました。
庶民にも広く親しまれたタマネギですが、5代将軍・徳川綱吉の時にタマネギの歴史は一変します。「犬将軍」とまで言われてしまっている徳川綱吉の「生類憐みの令」は有名ですよね。極端に言えば、あらゆる生き物を殺してはならない、という政策。悪法と名高いこの政策ですが、その裏には幼少期に綱吉が誤って犬にタマネギを食べさせてしまい、重度のタマネギ中毒となり非常に悲しんだことがトラウマになっているから、という説があります。敬愛していたものが自身のミスにより死んでしまうというのは本当に悲しいものです。こういった理由があったのかもしれません。

次にタマネギが歴史の表舞台に出たのが幕末、ペリー来航です。
開国要求を求めて来たペリーですが、この時ペリーが残した文献には「日本で食べた獲れたてのタマネギ料理が忘れられない」という旨の記述が残っているようです。黒船が来たのが6月3日ですから、新タマネギがギリギリ残ってたのでしょうね。その時に出された料理が何だったのかは詳しく書かれていないようですが、一説によると天ぷらだったのではないかと言われています。

いよいよ近代です。
大政奉還がののち、初代内閣総理大臣となった伊藤博文が好んで食べていたのが、タマネギを細かく刻んで塩などをまぶして食べるものだと言われています。現代のいわゆる「オニサラ(オニオンサラダ)」を考案したのはこの伊藤博文だという説がありますね。その他も「タマネギの皮で掃除をするときれいになる」というのは、あらゆる学問に精通していた福沢諭吉が、野菜を研究している際にその殺菌作用に目をやり、試してみたことが始まりだと言われています。

こうして現代に至るまで、様々なところで歴史に名を残してきたタマネギです。多くの偉人と共に歴史を刻んできたタマネギですが、日本に伝来する前…世界から見て、タマネギがいつ頃から歴史に出てきたのでしょうか。ここを明らかにするには、神話やオカルトの類まで足を踏み入れることになります。

最初の人類と言われるアダムとイブ。彼らが食べて「恥じらい」を覚えてしまった禁断の果実。実はそれがタマネギだったのではないかと言われていましたが、さすがにそれはタマネギ過激派の尖った意見であると最近落ち着きましたね。
日本神話にて登場するヤマタノオロチ。この怪物を倒すために酒に酔わせる作戦を決行します。その時の「八塩折之酒」はタマネギを元とした焼酎だったのではないかという学説がありましたが、さすがにこれはタマネギ過激派も「それはないわ」と笑って答えたといいます。武道館の一番上に乗っているのがタマネギだと信じて疑わず最終的にタージマハルがタマネギの権化だと言い破壊活動を行う集団が、タマネギに関することを一蹴した歴史的瞬間とされています。

では、タマネギはいつ頃生まれたのか、それは都市伝説などで時折目にする、12000年前に太平洋の真ん中にあった「ムー大陸」が関係しています。
天変地異などで突如滅んだムー大陸に、ある日突然巨大な球根のようなものが出てきたと言われています。これが現在のタマネギのすべての元になった個体と言われ、「始祖玉葱」「オニオン・イヴ」などと言われており、そこに住まう動物たちはそれを一枚一枚剥くようにして食べていたと言われていました。
ですが、やがてこの始祖玉葱を巡る争いが激化、各地で戦争が起こり始めてしまいました。これに深く悲しんだ始祖玉葱が、「自信を食べられないようになれば誰も悲しまない」と考えるようになり、赤血球を破壊する成分を生成しました。そしてその悲しみに包まれた始祖玉葱の種子が太平洋から様々な大陸に流れ着き、そしてその始祖玉葱の悲しみの涙が湖となり、水嵩が増してゆき、やがてムー大陸を飲み込むまでの大海原となりました。こうしてムー大陸は太平洋と、歴史の波に消えていったのです。

いかがでしたでしょうか。タマネギの歴史。

たぶん気付いたと思いますが今日書いたこと全部ウソです。

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